東京外国語大学フェンシング部

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ドイツ語を学ぶ意味?


 フェンシングと何も関係なく、個人的なことで申し訳ないのですが、非常に深く考えさせられたので、書かせてください。

 ドイツ語をやっていると、しばしばこんな問いに出会います。
 「ドイツ語やって意味があるの?」

 何度もこの問いに悩まされました。だってドイツ語科選んで大学に入ったのに、そんな質問されると、まるで自分の選択が間違っているように思われます。普段自動販売機でボタン押し違えてもあっさりとあきらめがつくのですが、人生を左右する大学の選択です。なんだか自分が否定された気分がしました。

 上のような問いをする人にとって、ドイツ語は確かに習っても意味はないでしょう。せいぜいドイツとオーストリアぐらいでしか使えないし、文法は難しく、決して学びやすい言語ではありません。ではなぜ習っているかを聞かれると、私は誇りを持って「好きだから」と答えます。今までもこの答えをしていましたか、どこか納得できないものがありました。今日の授業で考えさせられました。

 共通語教育についての話でした。強制的な言語教育はよくないという意見が多数あるかと思います。しかし今、共通語を創出するために英語については義務教育が行われています。より広いコミュニケーションを可能にする共通語のメリットは大きい。しかし共通語教育の背後には言語差別があります。英語が出来ないと今の国際社会で生きていけないと言われ、親は幼い子供を英語の塾に入れる。英会話学校は雨後の竹の子のようにどんどん作られ、しまいには小学校にも英語を導入する話になる。イングランドの言葉が絶対視されるのは何かおかしいのではないだろうか。

 これからは言葉が減っていくとよく言われています。言葉が減っていくとたくさんの不利益がありますが、中でも私が思うに、感情を表現できる幅が狭くなるのが一番大きいです。シェークスピアの授業を取っていますが、いくら英語の名句と言われても、英語のプロではない私にはいまいちピンと来ません。他の人と話すことが簡単になったのに、感情の表現難しくなった。皮肉だ。だったらロボットにでもなればいいのではないか。残念ながら私はまだドイツ語でゲーテニーチェを読めませんが、ドイツ語に含まれる「感情的な何か」を理解したいと思うし、「好きだから」という答えをこれから変えるつもりはまったくない。今日、後輩のさりげない言葉によって再び出会った例の問いが、ついに解決された。