東京外国語大学フェンシング部

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ジレンマ。閃く。シベリウス


明日、というか今日か。語劇の会議が行われる。監督・演出・脚本計四名がメッセで話し合い、オンライン会議です。何が話されるかというと、劇の方向性。 こればかりは少人数でやっていきたい。これまでは民主的に投票をとったり、積極的に意見を受け入れていましたが、方向性の決定における多数の意見はむしろ 混乱を招く。そんなわけで今日と明日(金曜)二日連続でG4が開かれる。
火曜日の話し合いでは「飛ぶ」のイメージができたものの、言葉にする事が出来なかった。言葉によらずに感覚で劇を指揮することほど怖いものはない。やは り演出家は明確な根拠を持つべきであると本を読んでつくづく思った。言葉に出来ないということは劇を指揮することが難しくなる、だからといって元の概念を 潔く捨てて言葉にしやすい無難な方向性にするのか。ジレンマに陥ってしまった。水曜日は一日中そのジレンマに取り付かれた。図書館で三時間じっくり作品と にらめっこを続けた。

ひらめいたのは23時半のことだったと思う。「飛ぶ」の特徴は、話を進める上で重きが置かれる役は存在するが、主人公がいないことだと思う。つまりすべ ての役には何かしらの独特な魅力がある。どの役の魅力が一番読者に残るかは人それぞれだ。劇でもその感覚を再現したい。しかしそれをどう言葉にすべきか。
タイトルが再びよみがえった。教室。「飛ぶ教室」の作品自体が一つの「教室」に思えた。教室とは学ぶ場である。「飛ぶ教室」はまさにいろいろな事を学ば せてくれる場であるのだ。「飛ぶ教室」に「学生」はいない。登場人物すべてが「先生」であり、読者全員が「学生」であると思う。私たちが無意識に「学生」 になってしまうような呪術的なケストナーの文才には、ただただ敬服するばかりである。

何かひらめいた時は気分がいい。身をもって脳のパフォーマンスの高さを感じる。これを勉強に活かさない手はない。最高の脳波を維持するには音楽が一番 だ。元気を出したいとき、私はいつもバーンスタイン指揮・シベリウスの第一番を聞く。これは初めて全曲聴きとおせた交響曲であり、初めて聴いたときに覚え た身の振るえは今でも忘れることが出来ない。今夜も思いっきりシベリウスに身をゆだねながら、もう一回ケストナーの呪術にかかってみよう・・・